Everything is illuminated
こんにちは
朝の美しい青空、美しい雲
夕方の美しい夕焼け、毎日違う形で、でも毎日とても素敵な雲の陰影
夜の美しい星空・・・
祝福に満ち溢れた輝く毎日が続きますね。
と、いまいちそう思えない方はぜひそう思ってみてくださいませ
そう思うだけできっと、心の中に一筋の光が差し込みます。
不快と感じるもの…人ゴミとか暑さとか、はたまた人間関係やら、時間の制限であったり
そのようなものに囚われず
いつも自分は自由だということをお忘れなく。
全ての人はモノは輝かされている
今現在、心の闇に囚われていようと
今現在、悲しみや苦しみの中にいようと
今現在、喜びの中にいようと
平等に光は注がれています。
今現在、動物園にいる人と
今現在、海水浴に行っている人と、
今現在、スキーに出かけている人がいる、
その違いくらいのもので、いろいろな経験をしている私たちの輝かしい人生の中にいること
命とともにこの身体を使って生きていることに変わりはない。
小さな頃~高校生くらいまで
「全てに意味が無かったら、生きていること自体無意味だ」とか言って
人間の人生の意味を発見して本を書こう!と意気込んでおりました。
そんな頃でも、どこかにスピリチュアルな本とかはたくさんあったはずで
でもそれにまだ巡り合えず…そこを試行錯誤しながら自分なりに脱出することが必要だった時期なのでしょう。
世間の無情さや人間のダークな部分にまだまだ囚われていたので
光サイドの本などには巡り合うことは出来なかったのですね。
人にはタイミングというものがあります。
でも、動機はともかくとして、その情熱はとても良い体験でした。
今思えば
高校生からどっぷり制限付き社会に入って
何か出口を探していたんだなぁ…などと分かるわけですが
その時はそれに必死です。人ってそんなもの。
そこを懸命に体験しているあの頃の私も
今の私も
ほほえましく見守ってあげたい。
全ての人がいろいろな段階にいます。
そのすべてを見守って
すべてが順調に進んでいることを喜びましょう。
全校で1000人くらい生徒がいたと思うのですが
その中で、ひとり、妖精と遊ぶお姉さんがいました。
その方はちょっと特殊な雰囲気を醸し出していたのですが
一言二言くらいしか言葉は交わさなかったと思うのですが
今となってわかる、彼女は私の光でした。
��この記事を書きながら20年ぶりに思い出したくらい、記憶の底の方でした)
誰にでも子供心というかピュアな部分が残されていると思うのです
今、私が私たちが、この子供心を楽しむスピリチュアルな生き方をしているだけで
そのシンプルなことだけで
誰かの光になることができるのですね。
いつでも照らされて輝いている自分の光を
ぜひぜひ周りに表現していきましょう。
それが
自分のためであり、誰かのためであります。
今ここに
私たちが私たち自身として生きていることがとても大切。
それがどれだけ世界にとって重要なことか・・・
光の使者として
自分を尊重して楽しんで
自分に正直に生きていきたいですね。
幼き頃を思い出す夏の日々
さすが夏休み月間です。

世界中に愛を
世界中の人たちのハートに希望の光を
きらきらりーん。
hiromi
朝の美しい青空、美しい雲
夕方の美しい夕焼け、毎日違う形で、でも毎日とても素敵な雲の陰影
夜の美しい星空・・・
祝福に満ち溢れた輝く毎日が続きますね。
と、いまいちそう思えない方はぜひそう思ってみてくださいませ
そう思うだけできっと、心の中に一筋の光が差し込みます。
不快と感じるもの…人ゴミとか暑さとか、はたまた人間関係やら、時間の制限であったり
そのようなものに囚われず
いつも自分は自由だということをお忘れなく。
全ての人はモノは輝かされている
今現在、心の闇に囚われていようと
今現在、悲しみや苦しみの中にいようと
今現在、喜びの中にいようと
平等に光は注がれています。
今現在、動物園にいる人と
今現在、海水浴に行っている人と、
今現在、スキーに出かけている人がいる、
その違いくらいのもので、いろいろな経験をしている私たちの輝かしい人生の中にいること
命とともにこの身体を使って生きていることに変わりはない。
小さな頃~高校生くらいまで
「全てに意味が無かったら、生きていること自体無意味だ」とか言って
人間の人生の意味を発見して本を書こう!と意気込んでおりました。
そんな頃でも、どこかにスピリチュアルな本とかはたくさんあったはずで
でもそれにまだ巡り合えず…そこを試行錯誤しながら自分なりに脱出することが必要だった時期なのでしょう。
世間の無情さや人間のダークな部分にまだまだ囚われていたので
光サイドの本などには巡り合うことは出来なかったのですね。
人にはタイミングというものがあります。
でも、動機はともかくとして、その情熱はとても良い体験でした。
今思えば
高校生からどっぷり制限付き社会に入って
何か出口を探していたんだなぁ…などと分かるわけですが
その時はそれに必死です。人ってそんなもの。
そこを懸命に体験しているあの頃の私も
今の私も
ほほえましく見守ってあげたい。
全ての人がいろいろな段階にいます。
そのすべてを見守って
すべてが順調に進んでいることを喜びましょう。
全校で1000人くらい生徒がいたと思うのですが
その中で、ひとり、妖精と遊ぶお姉さんがいました。
その方はちょっと特殊な雰囲気を醸し出していたのですが
一言二言くらいしか言葉は交わさなかったと思うのですが
今となってわかる、彼女は私の光でした。
��この記事を書きながら20年ぶりに思い出したくらい、記憶の底の方でした)
誰にでも子供心というかピュアな部分が残されていると思うのです
今、私が私たちが、この子供心を楽しむスピリチュアルな生き方をしているだけで
そのシンプルなことだけで
誰かの光になることができるのですね。
いつでも照らされて輝いている自分の光を
ぜひぜひ周りに表現していきましょう。
それが
自分のためであり、誰かのためであります。
今ここに
私たちが私たち自身として生きていることがとても大切。
それがどれだけ世界にとって重要なことか・・・
光の使者として
自分を尊重して楽しんで
自分に正直に生きていきたいですね。
幼き頃を思い出す夏の日々
さすが夏休み月間です。
世界中に愛を
世界中の人たちのハートに希望の光を
hiromi
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